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 私たちは、今国会で審議されている「組織犯罪処罰法改正案」(以下、「「共謀罪」法案」)に対して深い憂慮を抱き、その成立に反対します。

 この法案は、具体的な犯罪行為の前段階で取り締まる法案となっており、日本の刑法が拠って立っている原理である「行為原理」に反する法案であるとの指摘がなされています。また、「共謀罪」を取り締まるためには市民の日常的な会話や行動が監視対象となり、それによって市民生活が萎縮し、自由、ことに集会や思想信条の自由が制限されることが危惧されています。さらに、告発による罪の軽減も含まれているために、市民同士がお互いを監視し、告発し合う、「警察社会」の出現やえん罪の増加すら、引き起こしかねないと思われます。

 

 「共謀罪」法案の持つ問題については、国連人権委員会の任命した特別報告者も懸念を表明し、日本政府に対して説明を求めています。

 

 「共謀罪」法案が成立すれば、すべての宗教団体がその監視対象となることが危惧されます。政府の当初の説明では、対象は「組織的犯罪集団」のみが適用の対象となるとしてきましたが、その定義は曖昧であり、「普通の団体」も「その性格が一変すれば」対象となる事がありうると国会答弁で答えています。

 

 また、犯罪の構成要件も非常にあいまいであり、各宗教団体が行う、祈り、礼拝などの、日常的な宗教行為まで、「共謀罪」、準備行為とみなされる可能性があります。政府は、犯罪の構成要件は犯罪の具体的計画を立て、合意をし、その「準備行為」を行うことであると説明しています。しかし、その合意は集会に参加したり、SNS・メーリングリスト等でその合意が行われたグループに参加したりしているだけでも成立することがありうると指摘できます。つまり、日常的に行われる各宗教団体の集会における法話や説教で語られたことも、信者の集まりで話合われたことも、果ては、信者同士の何気ない会話も「共謀」とみなされる可能性があることは否定できません。

 

 歴史を振り返れば、「治安維持法」も「言論文章の自由」を最大限尊重すると答弁されていたにもかかわらず、多くの宗教団体が国家権力によって、監視され、自由な宗教活動は制限されました。私たちは、自らの宗教者としての信条に基づき、戦争や「国体」に反対し、それゆえ、「治安維持法」により逮捕され、拷問すら受けた宗教者のあったことを想い起こします。その一方、宗教団体が組織として、国家による弾圧を恐れて、自らの教説を曲げてまで「聖戦完遂」のために協力した歴史もあったことを認識しています。私たちが「共謀罪」法案に反対するのは、このような歴史に対する反省の上に立っています。

 国会審議の過程では、オウム真理教による事件が、テロ組織に変貌した宗教団体による事件の例として言及されました。彼らのような犯罪を企てることは決してありませんが、私たちが所属するそれぞれの宗教の教説には、理想的な社会の実現を信じ、そのために力を尽くすことが含まれています。「治安維持法」下では、これが「国体」を否定し、転覆させようとしたと見なされました。今回の「共謀罪」法案でも、今現在の社会を、民主的な手段で、あるいは、教育や福祉という方法で、よりよいものに変革しようとするグループすら「組織的犯罪集団」と見なされかねない危険があることが指摘されています。社会をよりよくしようとするすべての人々と手をたずさえて協力し合うことは、自らの教説に基づいており、また、これまで宗教が担ってきた社会における役割の一つであることを、私たちは認識し、これからもその役割を果たすものでありたいとの願いも、「共謀罪」法案反対の理由です。

 

 以上のようなことに鑑み、私たちは、良心の自由、思想信条の自由、集会の自由、表現の自由を守っていくため、この「共謀罪」法案に強く反対します。

​2017年 6月 9日  

声明文

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